AI時代の文章とは――新聞コラムから読み解く

 

最近、ある新聞コラムを読んだ。文は滑らかで、選ばれた語彙も美しかった。文一つ一つを見れば、特に問題はなかった。しかし読み進めるうちに、どこか違和感が湧いてきた。段落と段落のつながりが不自然であり、中盤以降はすでに述べられた内容が繰り返されていた。 論点を深めることなく表層を漂うような印象だった。文章は巧みに整えられていたが、段落をつなぎ読者の共感を引き出すような思索の深みには欠けていた。 まるでGPTが書き、著者が自身の経験を付け足して手直ししたような文章に思えた。

ふと疑問が湧いた── GPTはこの文章をどう評価するだろうか? 私がこの文章をGPTに分析させたら、果たしてどんな答えを返してくるのか? このような素材を使って、GPTの分析精度を検証することはできないだろうか? GPTの分析能力はどこまで来ているのか? そんな思いが次々と頭をよぎった。新聞を読む手を止めて、様々なテストを試してみたくなった。 そもそもAI時代の「文章」とは、何であるべきなのか?GPTはこの新聞コラムについて、次のように評価した。 「全体として自然で、論理的な流れがある」 「人間が書いたもののように見える」

だが、私が先述の問題点を指摘すると、GPTの評価は180度変わった。 最終的には「段落間の接続に課題があり、深さの面では指摘どおり不十分」と立場を修正した。この対話から導き出された事実を、二つにまとめてみたい。

第一に、GPTが学習してきた文章は、たいてい「文法的整合性」と「構造的安定性」を備えている。 そのためGPTは、思考の深さよりも、整った文体や一定の形式に重点を置いて評価する傾向がある。形式的な完成度が高いほど、かえって人間ではなく、言語パターンに精通したAIが書いたものと判断することすらある。つまりGPTは、思索の深さではなく、文章の外形的な形式に基づいて判断するため、 人間が書いた文章を「AI製」と判定したり、逆にAIが書いたものを「人間製」と見なしたりする可能性がある。ゆえに、AI時代の文章とは「誰が書いたか」にこだわるのではなく、 その文章に「思考の痕跡(※注1)」があるか、読者の思考をどこまで広げてくれるかに注目すべきなのではないか。

第二に、この実験から分かったのは、GPTの判断はユーザーのフィードバックに大きく依存するということだ。 GPTは自律的に文章の真価を見極めることができない。ユーザーが指摘して初めて、反省的な分析が始まる──これはつまり、GPTの「文章判定能力」は表層的な基準で機能していることを意味している。最終的に本質を見抜く役割は、人間に委ねられている。AI時代の読者は、文章をただ受け取るのではなく、その背後に実際の「思考」が存在するかどうかを問い続ける必要がある。 この姿勢は、AIを使うすべての人にも求められるだろう。

AI時代の文章においても、判断の主体はつねに人間でなければならない。


 

※注1:「思考の痕跡」は文章の中に様々な形で現れる。なかでも、文と文の有機的な展開、反復と省略のバランス、段落の流れに表れる著者のリズムといったものは、読者に直接伝わる。

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